たからばこ

好きな食べ物はバナナです。

人に上手く説明できないことを頑張って書いてみる

 

「歳を取ると涙脆くなる」

 

最近の私にとって、これほどぴったり来る言葉はないかもしれません。

 

 

今回は頭の中にあることを、つらつらと書いていきます。

 

 

 

まず、はじめに。私は現在ミティラーアートという民族画を描いています。ネパールは東南部(ジャナクプル地方)・インドはビハール州北部にある伝統的なアートです。別名、マドゥバニアートとも呼ばれています。※マドゥバニアートは少しデザインが異なり、ミティラーよりも細密で埋め尽くされるように描かれる絵画をいいます。

 

元々は、母から娘へ受け継がれていたアートです。泥や土からできた家の壁に描かれる絵のため、それぞれの家庭によってデザインが異なります。アートの中に植物・動物・神様などが描かれるのは、彼女たちが信仰するヒンドゥー教が関係しています。

インド映画・神話が好きな方、ヨガ教室に通う方ならすでにご存じかもしれません。自然や動物も大切な神さまとして考えられています。ミティラーアートを描く女性たちも、家々の壁に家族の健康や平和に対し祈りを込めて描いています。私も歴史の背景や、彼女たちの祈りや想いを尊重しながら描けるように、日々勉強しています。

 

ヒンドゥー教を信仰される方々を尊重しながら伝統絵画を描かせていただいておりますが、私自身は仏教徒の家庭に生まれました。熱心に信仰しているというわけではないですが、実家にはお仏壇がありご先祖・仏様に手を合わせています。ごく一般的な仏教徒のご家庭と同じだと思っています。

 

祖父母と両親はもともと自営で商売をやっていましたので、商売繁盛!と祈願しながら神道も大切に信仰していたそうです。日本人の中には初詣に神社に行く方も多いと思いますが、うちの家も同じような感じです。仏壇と神棚がそれぞれ置かれているような家でした。

 

神道とは、特定の誰かを信仰するものでない(教祖はいないという意味らしい)ですが、「万物のものに神が宿る」と言われているそうです。太陽や月、自然、動物、食べ物などに様々なモノに神さまがいると考えられているのだとか。地球上に存在するもの・しないものを考えると、感謝する対象はたくさんありそうですね。

ちょっと難しそうなので私の中では、神道とは正直な精神を持って生きていく道、全てあって当たり前と思わずに感謝して生きていくこと、だと考えています。

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話は戻りますが、冒頭で「涙脆い」というワードを書きました。成人になってからよく神社仏閣へ行くようになりましたが、最近は訪れると何故か涙が出そうになるのです。

決して情緒不安定とかではありません。困ったことも悲しいことも全く無いのです。いつでも最高にハッピーです。そりゃたまに苦もあるけど、楽もあるから結果オーライ。

ふいに涙が出るとき、周りに人がいたらちょっと恥ずかしいですね。あのわたし、変な人じゃないので大丈夫ですよ、と言いたい。自然現象は止めようがないのでどうにもこうにもできません。もしあなたが鼻水垂れてる参拝者を見かけたら、私の可能性があります。恥ずかしいのでそっとしておいてあげてください。

 

寺院や神社へ参拝するのにちょうど良い年齢・タイミングになったのかなと思います。学生時代の修学旅行は、神社仏閣を周っても興味が持てませんでした。自由行動はどこ行って遊ぼうかな、としか考えていなかったような。それが今、同じ場所へ行ったら泣きそうになる。なぜだろう。不思議なものです。

 

お寺で仏さまを見つめている間、このままこの場を離れたくないなぁと思ったりします。嬉しいような悲しいような切ないような、なんとも言えない感覚です。この場を離れたくないだなんて、自我の塊でいっぱいですよね。色んな人がお参りに来ますので譲り合いが大切です。仏さまの前でもそうでなくても、人様に迷惑かけてはいけませんよ。(私のことです)

 

わがままな私は、我が道を行きたい願望が昔から強かったと思います。他人が一般的だと考える生き方をしたくない、一つにまとめられたくない、属したくない、誰かに何かに縛られたくない、などなど多くの抵抗がありました。

いつの間にかヒートアップして、周りの人のせいにしながら「自分のやりたいことができない!」などと四方八方に矢を投げてたころもありました。このままではいけないと気づいたのは、真っ暗でどん底にいた時です。

全て起こることは、私が行動した結果です。どんなに予期せぬトラブルも、後悔も、元を辿れば全て自分で選んできた延長線。小さい道も大きい道も、選んで進んできたから今がある。もちろん環境もあるけれど、変えることだってできる。そう解釈し始めると「あ、誰かのせいじゃなくて自分が決めて動いてきたんだったわ」と気づきます。切り替えが早くなったおかげで、色々と乗り越えられるようになったのかもしれません。

ひと山越えたら自分に優しく自信が持てるように。また同じ過ちはしないぞ、モヤモヤしてもなるべく人のせいにはしないぞ、と自分に少し厳しくもなりました。

小さな選択も人生をかけた大きな決意も、自分で選んだもの。選択してきたこと全てに、責任が持てるようになりたい。

 

昨年はネパールへ絵画の勉強をしに短期留学することができました。家族には最後まで応援してもらえて嬉しかったです。英語は得意ではない上に、初めて行く国に一人で行くというのは、正直自信がありませんでした。それでも行くと決めて実際に行動していなければ、あの素晴らしい日々を送ることはできなかったでしょう。

こんなに自我が強い私でも、生きることができている。周りの人の支えによって、生かされている。すごいことですね。ようやく心の底から人のためにできることをしたいと、少しずつ思えるようになってきました。

 

自由に生きるこの瞬間に、過酷な日々を生きている人がいると思うと胸が締め付けられます。彼らの目に映る残酷な情景が、平和と希望で満ち溢れるようにと願わずにはいられません。

絵画を通して自己表現していますが、将来的には子どもから大人の方向けに体験教室を開きたいと思っています。レッスン料の一部をネパール南部(ミティラーの発祥地)に暮らす方々や、女性支援センター(ミティラー絵画を描いて生計を立てている女性がいる施設)へ寄付したいと考えています。具体的な寄付の内容や流れについては、信頼できるエージェント会社を候補に挙げて慎重に決めていくつもりです。

大きな目標ですが、目の前のことからひとつずつ努力していきたいと思います。

 

まず今年は、アート作品を増やしていく。

苦手なスケジュール管理もやらねばな。

 

話が長くなりました。

年々涙もろくなったり、尖っていたものが徐々に丸くなったりします。歳を重ねるごとに成長する幸せを感じていきたい、少しは人のために生きていきたい、というお話でした。

 

今日も明日もあなたにとって良い一日となりますように!

 

のじこ